K二丁目

本の感想と、日常と。

世間の「普通」から遠すぎた人

 「差がつく読書」という本に書かれている言葉を借りると、最近の読書は「実読」ばかりであった。もう一つの「楽読」にあたる本を読もうと思い、小説というジャンルが頭をよぎる。普段あまり小説は読まないため、有名な芥川賞受賞作品から選んでみることにした。タイトルは「コンビニ人間」だ。少し調べてみたところ、TV番組アメトーークの読書芸人というテーマがあり、複数の芸人がおすすめする作品でもあった。きっと、面白いに違いない。

 軽快に読み進める

 ページ数はそんなに多くもなく、表現も難しくないため、2時間ほどで読み終えることができた。主人公はコンビニでアルバイトをする36歳の古倉という女性だ。大学生の頃から同じ店でアルバイトを続けること、18年間になる。この時点でかなり珍しい人だと感じるが、実際この古倉という人は「普通」ではない。一言で言うと無感情で、コミュニケーションが苦手なのである。人見知りだという人は、特に日本では多いように感じるが、古倉は小さいころにカウンセリングを受けさせられるほどには人とは異なる。結局、そのカウンセリングでは治らなかった。そんな古倉が、別の意味で普通でない白羽という男性に出会い、白羽との奇妙なやり取りを広げていく様子を描いた内容である。

 読み終えた最初の感想

 始めこそ、古倉のような人も、まあいるのだろうなと、自らのコンビニのアルバイト経験等を思い出しながら感じていたが、序盤の終わりごろからだろうか。古倉の考えが徐々に理解できなくなり、結末には得体の知れぬ恐怖感を抱いてしまった。なんというか、「世にも奇妙な物語」を観た後のような感覚だ。特にそのように感じたのはこのような展開があったところだ。

周りから「浮く」ことについて、干渉される煩わしさを避けたいと感じていた古倉は、「36歳でアルバイト、結婚もしていない」状況を変えることは、良いか悪いかはわからないものの、必要なことと感じていた。例えば、彼氏がいるという現状を回りに示唆すれば、浮くこともなく、つまりは「普通」になれるのだと考える。ひょんなことから、白羽と同棲することとなり、それを妹に打ち明ける。ただ、実態は彼氏でもなんでもなく、異常な同棲関係であることに、古倉を訪れた妹が気づく。その時、泣き出し、古倉に「いつになったら治るの」という言葉をこぼす。その様子をみても、暇だからという理由で、プリンを食べながら妹をみつめるだけ。

 こういった状況を理解できない人に対して、私はひたすら恐ろしさを感じる。赤ん坊や小さい子供がものごとを理解できないのはまだ未熟だからであり、それでもむき出しの感情は、人間らしさを感じ、安心させてくれる。しかし古倉には、その両方がない。

 レビューをみて楽しむ

 こういったことを自分は感じたわけで、多くの人がそうだと思うのだが、自分の感情が普通、つまり多数派と思ってしまう。しかし、他の人はどうなのだろうか。本書のレビューを見ると、意外にもこの主人公、古倉に共感するという評価が2、3割はあった。そういう人たちは、自らも、そして誰しもがこうした発達障害的側面があるものだ、ということも言っていた。本当にそうだろうか。私の周りを見ても、あまりそういった人たちはみない。もちろん、明らかなそういう人(発達障害を持っているような人)は何度も見たことはあるが、古倉は会話は普通にできるし、協調するための話し方にも気を付けて、実行している。18年続けたコンビニアルバイトは、さすがというべきか、とても優秀な働きぶりである。

30歳を超えてフリーターをしている人は意外と多いと感じる。自らの仕事に誇りを持っているのかはわからないが、正社員でなくとも、献身的で高いサービスを提供している人だっているし、その姿勢は尊敬する。その人たちは、「コンビニ人間」なのだろうか。