K二丁目

本の感想と、日常と。

君はめんどうくさがりだから

 

 

めんどうくさがりな君には、といってもそれはつまり僕もなんだけど、ぜひ読んで欲しい本がある。福沢諭吉の『学問のすすめ』だ。

 

少し意外かもしれないけど、社会人になって君は、人並みには本を読むようになる。そして、「もっと前から本を読む習慣があれば」と思うようにもなる。今日は、『学問のすすめ』の、第16編「正しい実行力をつける」について、少し伝えておきたい。

 

この編ではまず、「不羈独立(ふきどくりつ)」という言葉から始まる。不羈独立というのは、何ものにも縛られず、何ものにも助けを借りずに、独力で自分の道を切り開いていこうとすることを指した言葉だ。実行力をつけるには、この独立を意識することが重要だ。

 

この独立なんだけど、福沢諭吉は、本当の独立には品物についての独立と、精神についての独立の、2種類存在する、と言っている。

 

品物についての独立というのは、要するに物欲にまみれずいることだ。独立できていない人は、人の物をみると自分も同じものが欲しくなり、それが手に入ったとおもえば、また別の物が欲しくなって…と、際限なく欲望が膨らむ。例えばファッションでいうと、大学にいけばほら、女子大生なんかは寒いのを我慢してもスカートを履いていたりするだろう。それくらいならまだ支配されている、なんて大げさかもしれないけれど、そんなにお金もないのに高い洋服を買ったり、食費代を削ってまで飾りのスカーフを買ったり、それがエスカレートして分不相応な高いジュエリーやらなんやらを買ったりして…という人は、テレビ番組とかでみたことはあるだろう。こういう物に支配されているような状態は、独立しているとは言えない。

 

これは、人の目を気にして、虚栄心を満たすために周りに流されている、と表現してもいいだろう。人の社会で生きている中では、どうしても他人より優位に立ちたい、という気持ちが、どこかで現れてくる。それはそれで人間らしい姿だし、自然であるとも思えるけど、何かに振り回されている時点で、精神的な独立もそこにはない。

 

けれど、それでは大した人間にはなれないから、さてどうしたものかというと、心と動きのバランスをとることが大事だという。たいていは、心ばかりが高くて、行動のレベルが伴っていない場合が多い。

 

 

もちろん、高いレベルを目指す、高尚な精神というのは大切だ。心が高尚でなくては、行動もまた高尚にはならない。

 

だけど、例えば口だけ達者で、その通りに行動に移せたかというと、実際にはその10分の1も満たせていない、という人がいるだろう。あるいは、心ばかりが高尚であるようなこういった人種は、他人に偉そうなことをいって、批評ばかりしている。 そればかりしていては、まったく大した人物には程遠い。

 

君は12月から就職活動が始まって、やれ説明会だエントリーシートだ、なんて躍起になるんだけど、それも数か月たって選考が進んでいくと、友達との会話は専ら誰がどこの会社の内定をもらっただとか、そういうことばかりになる。

 

自分が本当に行きたい会社なんてものは見つかっていないし、自己分析なんかも全然できていないにも拘わらず、他人が大手の内定をとった、なんて話を聞くと、自分もやっぱりそういった会社を受けるべきなんだろうか、とか、手当たり次第受けてみようか、とか、いろいろとやりもしないことを考えてしまう。

 

そしていつも不平ばかりを言っている。口に出していなくても、それは負け惜しみを言うのが嫌で、心の中では思っていたりする。そんなとき、時代や環境のせいにしてしまう。そういう人は周りからも嫌われて、時には孤立する。心と働きのバランスがとれていないと、人間関係にも影響してくるんだな。

 

何事についても、もしそれに不平や不満があるなら、自分でそれをやってみるんだ。そのときはじめて、ことの重大さや大変さが身に染みて分かるし、心と働きのバランス、というものも分かってくるから。一つ一つ行動を積み上げないと、いつまでたっても変わらないよ。もはや、歳を重ねれば自然に成長するなんて歳ではないんだから。