K二丁目

本の感想と、日常と。

仏教について

 
 20代も後半に差し掛かると、周りの友人や会社の同期が結婚し始めてくる。それらに出席したのはおよそ6回ほどだろうか。これからもっと増えてくると思う。
 
最初こそ出席に関しては、知らなかったこともあり少々緊張していたり、いったい何を準備すればよいのかもわからなかった。同じく出席する友人や同期に聞いてみるのもなんだか一般教養が欠けていると思われそうで嫌だったし、疎遠になった親に聞くのも少し気が引ける。それでも数回経験すればもう慣れたもので、気になるのは御祝儀や二次会費用の工面だ。
 
 
そしてもう一つ、頭を悩ませるのが御祝儀袋に書く名前だ。私はお世辞にも字がきれいとはいえず、慣れない筆ペンでバランスの悪い自分の名前を書くのが億劫だった。
 
それが先日もあった結婚式でまたその時がやってきたのだ。パソコンで字をコピーして印刷する、という荒業もあるが、これからもこの場面がおとずれると考えると、やはり上手くなっておきたいという気持ちが湧き出てきた。
 
 
そこで字を練習することにしたのだが、何を思ったか、写経を始めた。般若心経の写経である。一文字一文字書き写す。次第にその意味を調べ始める。今まで気にしたことのない仏教について気に始める。こうしていつも目的への道を外れて時間を浪費してしまう癖は、もう一治らないかもしれない。
 
 
仏教はキリスト教やイスラム教など、他の宗教と違い神を信じない。これはもともとのブッダの教えであり、ブッダは我々と同じただの人間だったのだ。
 
元々古代インドの王子として生まれたゴータマ・シッダッタという人間が、何不自由のない暮らしをしていたところ、老人や修行者の姿をみて、急に老いることや病にかかること、死ぬことに対して恐怖を感じ始めた。今まではそんなことに悩むことはなかったのだ。
 
その恐怖から脱したい思いで、29歳に出家することになる。森の中に入り、6年間苦行を続けた。しかし、あるとき、その苦行に意味がないことに気付き、苦行をやめたあと、悟りを開きブッダ(目覚めた者)となるのである。
 
ブッダは、老いや病、死など、世は苦しみで満たされているという。そしてその苦しみは、我々人間の煩悩によって生まれる。この煩悩をかき消すことで、苦しみのない状態になることができるのだと説いた。
 
 
要は、苦しいことや悲しいこと事態が世にあるのではなく、捉え方によって苦しみにも悲しみにもなるということである。こんな簡単に言ってしまうのは恐れ多いが、つまりはそういうことだろう。
 
ブッダの思想は基本的にネガティブなのである。苦しみから逃れることが幸せであり、フラットな状態こそが目指すべき姿なのだと。
 
これを現代に生きる者はどうとらえればよいのだろうか。今までの経験上、楽しみそのものはやはりあったと感じる。友人との交流や趣味に没頭している時間、はたまた苦しい練習や仕事の果てに成果がでたときなど、その時嬉しい、楽しいと感じた気持ちは嘘ではないと信じたいし、これからの人生もそれを望むのが普通なのだとも思う。
 
 
「仏教は心の病院」、と仏教学者の佐々木閑(しずか)さんは表現している。医者はわざわざ向こうからやってこない、ケガや病に罹った人がやってきて、それに対して応える(治療する)。仏教も必要のない人にわざわざ押し付けることはせず、心に苦しみを感じたものに応えるものなのだと。
 
 
 
<参考図書>
 

橘玲さんの『言ってはいけない残酷すぎる真実』を読んで

 

タイトルには「残酷」とあるが、真実を希望にするか絶望にするかは人次第だと僕は思う。本書は、「で、自分はどうするのか?」ということを考えられる人にとっては、巷に溢れる自己啓発本よりよっぽど好影響を与えてくれる本となるのではないだろうか。努力をすることに不安や行き詰まりを感じているときに、冷静になって読みたい本だ。

 

筆者は冒頭で、"これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとは読むのをやめたほうがいい。"と添えたうえで、進化論を基にした言ってはいけない真実が世の中をよくするために必要だと主張している。

 

 

 

 

本書は三章ある。

1.努力は遺伝に勝てないのか

2.あまりに残酷な美貌社会

3.子育てや教育は子供の成長に関係ない

 

遺伝に関して、身長や体重といった体形、陽気か陰鬱かといった性格、運動の得意不得意やセンスの有る無しといった能力、それから依存症や精神病といった類のものも親から子へ遺伝するという研究結果があるという。また極めて社会的に重要な犯罪についても、その傾向は存在すると主張する。

数字としては、身長の遺伝率は66%、体重の遺伝率は74%、統合失調症や躁鬱病の遺伝率は80%。

一卵性双生児と二卵性双生児を対象とした調査により、論理的推論能力の遺伝率は68%、IQの遺伝率は77%ということもわかっているという。また、よく知能が高い人種としてユダヤ人があげられるが、確かに平均が100に対してユダヤ人のIQの平均は112~115と1標準偏差ちかく高いのだという。これは、過去のヨーロッパにおけるユダヤ人差別が影響し、金貸しで生計を立てざるを得なかったことによる進化なのである。

 

このあたりから思うのは、これらが事実だとして、だからどうということはない、ということだ。論理的思考能力による技術開発競争や、運動能力を競うオリンピック競技にしたって、遺伝による敗北を受け入れなければならないのはいわゆるトップ層である。グローバル社会において世界と戦わなければいけないのは事実であるが、全員がユダヤ人と競争しているわけでもなければ、強敵はユダヤ人だけということでもない。

また、欧州の人たちに比べて、日本人の平均身長は低いが、スポーツ以外でそれによる敗北を受けているのは果たしてどれほどの人がいるだろうか。(女性の獲得という競争において欠点はあるかもしれないが、日本人であるがゆえに得られる利点と相殺できるだろう)

 

面白かったお話しをもう一つ。"幸福のホルモン"と呼ばれるセロトニンは、その濃度が高いと楽天的に、低いと神経質になるのだが、このセロトニンを運搬するトランスポーター遺伝子には、伝達能力が高いL型とS型があり、LL型、SL型、SS型の3つに分けられる。日本人の70%がSS型で、LL型は2%しかいないのだという。

 

こうして考えると、性格を含む遺伝というのは確かに存在し、努力でどうにもできないことがあるのは事実かもしれないが、そう思ってしまってはそこで試合終了だ。血液型と性格の科学的根拠は見つかっていないようだが、日本人は体現しているように思える。事実よりも、自分が何を信じどう行動するかが重要なのである。

 

こう考えるのは、あまりに楽観的だろうか。

 

最後に、教育についての話も興味深かった。別々に育てられた一卵性双生児の内、片方はプロのピアニストになり、片方は音符すら読めなかった。プロのピアニストに育ったのは、音楽教師を親にもつ子どもではなく、楽譜の読めない親を持つほうだったのだ。

それはなぜだろうか。

女性と男性の考え方の違い

 

 

 アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著作の「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んだ。本作はタイトルから想像される通り、男女の違いを明らかにした本で、科学的根拠に基づいた男女差説明書といえる。

 「やはりそうだったか」と、普段自分が感じていたことの裏付け的説明もあれば、「そういうことか、どうりでわからなかったわけだ」と非感覚的な新事実を突きつけられることにもなる。

 

男性に愛されるには

 男はいつも女のこととなると頭に浮かぶのはセックスのことばかりである。これは「愛」と「セックス」が、男では切り離されているからだ。

 一方女性は愛とセックスはセットなのである。だから、男性が愛してもいない女性とセックスするのは、女性には考えられない出来事なのだ。「ああ、男の人って、いくつも愛を持っているのね」。愛は一つ、セックスはいくつも、なのである。

 

 

 

 

 このように、男性は浮気をする生き物だ、とひと昔前ではまるで当たり前のように言われていた。男性は愛していない人ともセックスができるから、本能の赴くままその行為自体に興味が沸く。

 では、なぜ愛する人を差し置いて、他の女性とセックスするのか。人間だけでなく、他の雌と行為をしたがるのは、生物的本能からくるもので、当たり前のことなのだ。多くの子孫を残さなければならない。

 

 男性に自分だけが愛されるには(他の女性とセックスさせないためには)どうすればよいか。それは正直無理かもしれないが、男性が普段どう考え、女性の何をうっとうしく感じてしまうのか、本書を読んで理解すれば、その答えは見つかるかもしれない。

女性を喜ばすには

 女性を喜ばすことは男性にとって難しい。愛する女性が何を考えているのか、何を望んでいるのか、論理的思考で考えても無駄である。そこには理屈などない。

 女性はよく悩み相談をするだろう。しかし、この相談という言葉をそのまま受け取ってはいけない。男性はすぐに「問題解決」をしたがる。そしてその問題とは、「出来事」のことだと思っている。車が動かない、エアコンが壊れた、仕事がうまくいかない、等々。

 

 これ自体が問題ではないのである。問題は、何もない。あえて挙げるとすれば、話を最後まで聞いてあげなければいけない、ということが問題だ。

 男性は一つのことしか考えられない、途中で脱線しようものなら、話を遮ろうとする。それでは女性の不満をためてしまうだけなのだ。女性は多くのことを並列で考えることができる。女性の会話スピードに追い付けるとは、思わないことだ。

 

 では、どうすればよいのか。わかっているふりをすればよいのである。女性と話してて、途中でこんなことを言われたことはないだろうか。「ねえ、ちょっと聞いているの?」そう、聞いてるかどうかを聞いてるのであって、こうは言わない。「ねえ、ちゃんと理解してる?」

 

 女性の信頼を得ることができれば、それすなわち女性を喜ばすことなのだ。うまくいけば、ことに及ぶことができるかもしれない。そのヒントが本書にあるはずだ。トライアンドエラーが重要。

否応なしに関わらなければいけないのが職場

 男女の脳の違いは歴然としているが、プライベートなら何も無理して関わる必要はないかもしれない。しかし、職場ではこうはいかないだろう。男女の違いというのはなかなか当事者を困らせる。

 女性の社会進出は何十年も前から謳われているし、近年では日本でもダイバーシティという言葉が流行りだし、男女だけでなく様々な人種を受け入れ、創造的な価値を創出しようと躍起になっている。だがいざ、意見を集めましょうというときの会議は決まって、上司の顔色を伺う男性に数で圧倒されてしまうことがほとんではないだろうか。自発的、直感的なアイデアをうまく引き出し、そういった人材を活用することに適しているのは、チームワークと相互協力を重んじる女性なのである。

 

 だが、声の高さや感情的な話し方が周りを幼稚だと受け止めかねない。外国の人には若干謙虚になる日本人だが、その直積的な物言いに対しては結局、日本のことを良く知らないのだ、と受け入れかねたりもする。

 

 

 多様性が求めている一方で、受け入れる準備ができていないのである。それも仕方ない、男女の違いがあることは認めているものの、どう違うかを経験則でしか測っていないからだ。人材をうまく使うには、人材を良く知らないといけない。男女の違いを理解したときには、人材活用のレベルをあげること間違いないだろう。

 

 

 

また続けられるか?

 

 年初に始めてみた当ブログ。案の定、投稿しなくなって、早4か月以上。投稿も初めに比べだんだんと減り始め、自らの性格を再認識することとなった。

 

 しかし、一応読書感想をメインに始めたブログだが、読書が趣味は変わらず、感想文を書いてない本は数十冊と溜まっている。

 

 正直いまさらすべてを書き出すのは骨が折れるため書くことはないが、やはり文章に起こすことで記憶を呼び戻すことは易しくなる。(そういえば生命保険の本なんか読んでたな、と思うくらいには忘れていた)

 

 とりあえず久々に投稿してみる。

Excelだけに頼るのはやめて。pythonでデータ解析ができるように

 

 

 「プログラミング」という言葉を聞くと、専門的で、理系の方の得意分野で、文系出身の自分とは無縁のスキルだと思っていた。だから、プログラム言語だって、一生学ぶことはないだろうと考えていた。しかし、これからは英語と同じくらい、いや英語よりも、誰しもが身に着けるメリットがあるのかもしれない。

 

 そう感じたのは、日ごろExcelを使ってデータをまとめている際に、どうも非効率というか、時間がかかると感じていたからだろう。もちろん、単に私のExcelスキルが乏しいということもあるが、そう感じていながら一からちゃんと学ぼうという考えには至らなかった。それよりも、何か自分にとって新しいものばかりに興味を示すのは、悪い癖に違いない。

 

 とにもかくにも、気になってしまったのだから仕方がない。習得する、しないは置いといて、とりあえず「何たるか」ということだけは知っておきたいと思い、手に取った本がこの本である。

 

 

 

「python(パイソン)」というのは、プログラミング言語の一つである。1991年にできたこの言語は、一言でいうと「簡単に」できることを目指して開発された言語だ。他のプログラミング言語は、C#やC++、Javaというものがあり、これらは何度か聞いたことがある。

 

 この「簡単さ」を目指したpythonだが、それによって初学者としても学ぶにあたって非常にとっかかりやすい言語になっている。また、それはpythonのレベルが低いということではもちろんなくて、近年では使う人が急増しており、google等の大手IT企業も注力しており、人工知能等の未来的技術の言語としても優秀で期待される言語なのである。

 

 そういうことで、これからプログラミングを学ぶ者としては他に選択肢がないように思われるこのpythonであるが、いわゆる入門書は既にいくつもある。中でも、とにかく初心者にわかりやすいように、挫折しないように、丁寧な説明、表現を心がけて教えてくれているのが本書であるらしい。らしいというのは、購入前のレビューにそういったコメントが多かったからだ。

 

 実際に読んでみると、レビュー通りであった。こういった本は実際にソフトをインストールして、自分の手で動かしながら本と一緒に進めていくのだが、なるほど私でも最後まで進めることができた。Pythonだけでなく、プログラムそのものが初心者、というよりは全くの知識ゼロでも本書を理解することができる。

 

 ただし、本書は本当に導入部分であるので、この本をスタートとして、他の本やコンテンツで勉強していかなければ、使いこなすには及ばない。使いこなす、といっても、何のために使うのか、ということがはっきりしなければ、適当に勉強しても時間の無駄になるかもしれない。

 

 Pythonは様々なことが実行できる、わかりやすいプログラミング言語であるが、特に次の二つを得意とするようだ。データ解析と機械学習である。私が興味を持ったのは、データ解析の方である。

 

 というのも、なんとなくプログラミングができると、自動で、素早く、正確にデータ解析、および資料作成ができるということはわかっていたので、あとは使いこなすことができるのか、を知りたかったのである。そのためにまずは、入門書を読んでみたというわけだ。

 

 じゃあ次のステップとしてはどうするか。当然、そろそろ具体的イメージが掴めないと、これ以上足を踏み入れるのを止めてしまいそうになるのだが、大変便利なものを発見した。Udemyというレクチャー公開サイトにある「実践pythonデータサイエンス」というレクチャー動画である。

 

 

 

 コースコンテンツというところをみると、「データ解析の基礎」や、「データの可視化」、「実践データ解析」というセクションがある。つまり、データ解析の為に、pythonをどう使うのかが、初学者用に展開されているのである。

 

 現在はセール中のようで、\12,600が\3,200となっている。私はまだ勉強するかどうかわからないので、実際のスクールに通うという選択肢はない。ということで、あとは別の本を買うか、ネット上のコンテンツ調べて学ぶかだが、3,200円程度ならと、購入してみることとした。

 

 まだ「機械学習」の項目より後は学んでいないが、かなりわかりやすく、学習意欲がそそられた。特に、割と序盤のレクチャー22で、グラフ出力がこれほど簡単にできる、ということがわかった時には、思わず「おお」と声を出してしまったほどだ。

 

 そしてもう一つ感じたのは、このレクチャーは確かに初学者向けであるが、もし私が「この本」を読んでいなかった場合、ついていけない箇所が結構あったと思う。いちいち動画を止めるとやる気が落ちていくため、少しは事前に学習してからこのレクチャーを観るのがいいかもしれない。そう考えると、「この本」は、「本当に」全く知らない人が読み始めるのに絶好の本であると言えるだろう。

『夜は短し歩けよ乙女』を読んで

 2017年4月7日、アニメーション映画が公開される、森見登美彦によるベストセラー小説、「夜は短し歩けよ乙女」。Amazonでしきりに出てくるので、読んでみようかと、すぐに購入ボタンをクリック。

『夜は短し歩けよ乙女』(よるはみじかしあるけよおとめ)は、2006年11月に角川書店より出版された森見登美彦による小説。

第20回山本周五郎賞受賞作品。第137回直木賞候補、2007年本屋大賞第2位。2017年2月時点で累計売上130万部を超えるベストセラーとなっている。

京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を2人の視点から交互に描いている。諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。古い文章からの引用が多い。タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭からとられている。

湯浅政明監督によりアニメーション映画化され、2017年4月7日に全国公開予定。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AF%E7%9F%AD%E3%81%97%E6%AD%A9%E3%81%91%E3%82%88%E4%B9%99%E5%A5%B3

 独特な言い回しの文章に、読み方が難しい単語が散見されるが、決して読みにくいということはなく、むしろ軽快に読み進めることができた。単純に、面白い。そして、今の季節のような、春の陽気な天気の下で、京都の花見でもしたくなる、そんな気持ちが読後に沸いた。ただ少し違和感なのは、京都が舞台でありながら、登場人物の口語は京都弁ではなく、標準語であるところだった。京都に一度しか言ったことがなく、地名にも明るくない私は、京都であることを忘れてしまうときすらあった。

 

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 主人公達が在学する大学は京都大学かもしれない、ということを鵜呑みにすると、舞台は京都駅と京都大学の間に位置していることになる。中心に流れる川は鴨川だ。私が一度だけ行った京都は夏の終わり頃で、伏見稲荷や清水寺を堪能し、心地よい疲労感のもと鴨川を横目に冷えたビールを頂いた夜はまさに感無量といったところだ。

 

『夜は短し歩けよ乙女』、一風変わった京町での青春を味わうには、十分な一冊だった。

 

生命保険の考え方。商品に詳しくなる必要はない

 先日、後田亨氏の「生命保険の罠」という本を読んだ。

www.k-nichome.com

 同氏は以前10年ほど日本生命で勤務していて、そのあとは保険コンサルタントとして仕事をしている。「生命保険の罠」以外にもいくつか本を出版しており、そのうちの「生命保険のウラ側」という本を読んでみることにした。

 この本は、「生命保険の罠」よりも、より具体的に、生命保険がどういう仕組みになっているか、ということが書かれている。それは商品の構成もそうだが、保険会社や保険営業職員の考え、営業の仕方まで細かく書かれているのだ。「ウラ側」というタイトル通り、普通に生活していては知りえない情報で、覗き見る感じが読んでいて非常に面白い。

 基本的に著者は、普通の人は保険のことをよく理解していない前提で話を進めている。というよりかは、普通の人が理解し難いほど、商品内容が複雑化しているのだ。その前提で書かれているため、生命保険についてよく知らない者でも読み進められるよう親切な配慮が感じられた。

 学生時代は保険のことなど考える者は少ないだろう。大学を卒業し、社会人になって、なんとなく会社の団体保険に入っているという者がほとんどのはずだ。正直、団体保険に入っていれば、損得という観点ではそこまで考える必要もないかもしれないが、結婚して本格的に考え始める前に一度は読んでおいて損はない本だと感じた。